前回の続きです。
ハツカネズミの黄色(Yy)の個体同士を掛け合わせると、黄色の個体(Yy)と黒色の個体(yy)が2:1の比で現れます。そして、黒色の個体と同程度の個体が母親の胎内で死んでしまいます。高校生物ではお馴染みの致死遺伝子ですね。
Y遺伝子はハツカネズミの毛色を黄色にする遺伝子で、y遺伝子(ホモ接合体は黒毛になる)に対して優性です。しかし、Y遺伝子がホモ接合になると胎児のうちに死んでしまうという、悲劇が起きてしまうのです。
この現象について、高校生物の参考書などでは、「Y遺伝子は毛色に関しては優性だが、致死作用に関しては劣性である」と言った説明をしています。それは正しいんですけど、なんでこんなめんどくさい例を高校で教えるんでしょうかね。わざと高校生を惑わせようとしているかのようです。致死遺伝子のことを教えたいなら、もっと手ごろな遺伝子がたくさんあるだろうに。
例えば、ショウジョウバエの胚致死の変異体を使えば、孵化した卵と孵化できなかった卵が3:1に分離するので、劣性ホモ接合が致死となることが分かりやすいと思うのです。マウスのように胎内で死んでしまうために表現型として観察しにくい例を出すから、2:1などというおかしな分離比になって生徒を惑わせてしまう。試験問題にしやすくするために、あえて分かり難くしているのではないかと疑いたくなります
そもそも、遺伝される致死遺伝子はすべて劣性なのです。致死作用が優性だったら、その遺伝子は次世代に伝わらずに、絶えてしまいます。どうして致死になるかというと、致死遺伝子のほぼすべてが、大事な遺伝子が変異して機能を欠失しているからなのです。その対立遺伝子(正常型)がコードするタンパク質が発生において重要であればあるほど、その変異遺伝子は致死遺伝子となる確率が高くなります。なぜなら、その重要なタンパク質が無ければ発生が進まないからです。
つまり、致死遺伝子は、なにか毒物を作って胚を殺すわけではないのです。胚発生を順調に進める仕事ができなくなっているために、胚が死んでしまうのです。
では、ハツカネズミのY遺伝子がホモ接合になるとどうして死んでしまうのでしょうか。これをわかりやすく説明するのは非常に難しいのです。ちょっと複雑なことになっていて、毛の色素を作れるとか作れないとか、そんな単純な話ではないのです。
Y遺伝子は毛色を黄色にする遺伝子なのですが、実は致死作用と毛色は全く関係が無いのです。致死遺伝子の例として高校生物の教科書に載せようと決めた人も、まさかそんなややこしいことになっているとは思っていなかったでしょう。
どうして胎児が死んでしまうのかを説明する前に、毛色が黄色や黒になる理由から説明しましょう。この致死遺伝子に関する部分を読んでいると、ネズミの本来の色は黄色だったかのような気がしてきます。このあと参考書を読み進んで、条件遺伝のところに来ると灰色のネズミが登場すると、「ああ、ネズミはネズミ色じゃん」と我に返るのです。
ハツカネズミの本来の毛色は灰色です。黄色の毛色になるのは遺伝子が変異しているからです。この変異遺伝子をY遺伝子(Yellow)とします。また、毛色が黒になってしまうのも遺伝子が変異しているためですが、Y遺伝子とは違う変異が入っています。この遺伝子(上の方でy遺伝子と表していたもの)をここではB遺伝子(Black)とします。そして正常型の遺伝子をG遺伝子(Gray)とします。つまり、ハツカネズミの毛色に関して、高校生物で登場する遺伝子は3種類あり、どれも同じ遺伝子座に乗っています。つまり、これらは複対立遺伝子の関係にあります。
ここから少し難しくなります。覚悟してください
Y遺伝子はAgouti(アグーチ)というタンパク質をコードしています。Agoutiはメラニン細胞刺激ホルモン(αMSH)の拮抗的阻害剤として働き、メラノサイトでのメラニン合成を抑制します。ところで、メラニンには黒褐色のユーメラニン(eumelanin:真性メラニン)と橙赤色のフェオメラニン(Pheomelanin:亜メラニン)の2種類があります。αMSHの刺激があるとユーメラニンが合成され、ユーメラニンの合成が止まっているときはフェオメラニンが作られます。
G遺伝子(正常型)からは、Agoutiが断続的に発現します。つまり、少し作られては少し休んで、と言うように、タンパク質合成のオンオフが調節されているのです。Agoutiが断続的にできるので、αMSHが断続的に阻害されることになります。その結果、αMSHが阻害されている時はフェオメラニンが、阻害されていない時はユーメラニンが生成され、両者がバランスよく存在すると、毛色が灰色になります。
B遺伝子は、G遺伝子に変異が入って機能を失ってしまったものです。B遺伝子からは正常なAgoutiができないため、αMSHが阻害されずに黒褐色のユーメラニンが作られ続けます。その結果、毛色が黒くなるのです。
厄介なのはY遺伝子です。Y遺伝子からほぼ正常なAgoutiが合成され、αMSHを拮抗的に阻害します。じゃあ、どこがおかしくなっているのかと言うと、この遺伝子のプロモーターが別の遺伝子のプロモーターに変わってしまっているのです。プロモーターと言うのは、遺伝子の少し上流域にあって、ここに転写調節因子が結合したり離れたりすることによって転写のタイミングと量を調節します。G遺伝子の正常なプロモーターは適度にオンオフを切り替えて、Agoutiの発現量を調節しています。一方、Y遺伝子のプロモーターは常時発現するように働いているため、Agoutiが常に合成されてしまいます。そのため、ユーメラニンが合成されず、橙赤色のフェオメラニンばかり作られるのです。その結果、毛色が黄色く見えるのです。
では、どうしてY遺伝子がホモ接合になると胎児の時に死んでしまうのでしょうか。それは、Mercという重要な遺伝子が欠失しているからです。Mercから作られるタンパク質はRNA-結合タンパク質の一つで、生体にとって重要な働きをしています。このタンパク質が無いと、発生の早い時期に死んでしまうと考えられています。
ふむふむ、毛色が黄色くなるのと、胚発生の途中で致死になる理由は分かりましたね。しかし、この二つがどう結び付くのでしょうか?だいいち、一つの遺伝子座のはずなのに遺伝子が2つ出てきましたね。どういうことなのでしょうか。
ここから先はG遺伝子をAgouti遺伝子と呼びます。ご了承ください。Agouti遺伝子の上流にはAgouti遺伝子のプロモーターがあって、そのさらに上流にはMerc遺伝子とそのプロモーターがあります。正常な場合(G遺伝子)は、Agouti遺伝子とMerc遺伝子は独立して発現が制御されています。ところが、Y遺伝子と呼んでいるものは、Merc遺伝子からAgouti遺伝子のプロモーターまでがごっそりと欠失しているのです。そのためにMerc遺伝子プロモーターのすぐ下流にAgouti遺伝子が配置するような形になっているのです。常時発現するMerc遺伝子のプロモーターによってAgoutiが作り続けられるので、Y遺伝子はG遺伝子やB遺伝子に対して、優性になるのです。同時に、Merc遺伝子が欠失しているために劣性致死の表現型を示すのです。
ここまでの話について、分かりやすい説明が高知大学の藤原滋樹先生のサイト(1) にあります。
さて、ここで少し思考を変えてみましょう。この黄色の毛色を作り出す分子機構が全く分かっていないとします。その時に「ハツカネズミの黄色(Yy)の個体同士を掛け合わせると、黄色の個体(Yy)と黒色の個体(yy)が2:1の比で現れる。そして、黒色の個体と同程度の個体が母親の胎内で死んでいる。」という条件を与えられたら、この現象をどのように解釈するでしょうか。
一つは、教科書通り、「毛色に関してはYが優性で、致死作用に関してはYが劣性」と解釈できます。が、もう一つ可能性があります。
黄色の個体が中間雑種と考えることもできます。yをメラニンを作る遺伝子と仮定すると、yyはメラニンを作れるので黒い個体となります。Yは機能欠失型の変異遺伝子と考えると、YYはメラニンを作れずたぶん白い個体となるはずですが、胚致死であるため、毛色は分かりません。致死になるのは、胚発生の過程でメラニンが大事な役割を果たしているのかもしれません(あくまで仮想ですよ)。そして、ヘテロ接合の場合は、作られるメラニンの量が少なく黄色の不完全優勢(半優性)となるのです。
どうでしょうか。現在の分子遺伝学の知識が無ければ、この解釈もありだと思います。実は、この仮説は生徒が考えたものです。かなり頭の良い生徒でした。高校で生物を勉強していなかったので、改めて勉強したいということで予備校に来ていました。その生徒が、「致死遺伝子と言うのは機能欠失変異じゃないのか。それが何で毛色に関しては優性なんだ」という疑問を発してきました。小生も予備校講師を始めたばかりで、この分子機構について不勉強だったので答えてあげられませんでした。すると、上の仮説を考えて、考え方が間違っていないかどうか尋ねてきたのです。すばらしい発想だと感心しました。
表現型の分離比と遺伝の現象名を機械的に覚えさせるのではなく、このような推論をさせる学習と言うのが、高校生の能力を伸ばす道ではないかと思うのです。
さて、高校生物ではハツカネズミの毛色は条件遺伝のところでも出てきます。
「灰色のハツカネズミ(CCGG)と白色のハツカネズミ(ccgg)を交雑すると、F1はすべて灰色(CcGg)となり、F1同志を交配させるとF2は灰色:黒色:白色=9:3:4になる。」と言うやつです。毛の色を灰色にする遺伝子Gと毛の色を黒色に着色する遺伝子C、という説明がついていますが、G遺伝子は致死遺伝子のところで出てきた正常なAgouti遺伝子で、C遺伝子はメラニン合成酵素の一つをコードしているのでしょう。
G遺伝子があればAgoutiができるので毛色は灰色になり、ggだとAgoutiが作られないので黒色になります。しかし、メラニン合成酵素が欠けていて(cc)メラニンを合成できなければ、G遺伝子があろうがなかろうが関係なく白色になります。
G遺伝子のように、表現型を表すのに他の遺伝子の存在を必要とする(他の遺伝子の存在が条件となる)ような遺伝子を条件遺伝子と言うのですが、とりたてて特殊なことではないですよね。生命はたくさんのタンパク質によって織り成されているのだから、一つの遺伝子だけで表現型が表れるわけではありません。言うならば、全ての遺伝子が条件遺伝子なのです。
最後に複対立遺伝子について。
上で述べたように、ハツカネズミの毛色を決めるG遺伝子、Y遺伝子、B遺伝子は複対立遺伝子です。高校生物では、複対立遺伝子の例としてヒトのABO式血液型を決める遺伝子や、アサガオの葉の形を決める遺伝子が挙げられて、なにか特別なことであるかのように説明されていますが、対立遺伝子が3つ以上ある方がむしろ一般的です。対立遺伝子が2つしかない方が珍しい。
対立形質がどのようにしてできるかを考えると、すぐに理解できることです。正常な遺伝子に変異が入ると、それから作られるタンパク質の構造が多少変わって、機能(表現型)が変化することがあります(中立的な変異の場合、タンパク質の構造には影響しない)。ひどい場合には、機能が完全になくなってしまいます。ここに対立遺伝子が誕生したことになります。この変異が生殖細胞で起きた場合は次世代へ遺伝することになります。しかし、変異の多くは劣性なので、子の表現型には影響しません。変異遺伝子はヘテロ接合の形で細々と代々伝えられていくのです。
変異が一度入った遺伝子に、二度と変異が入らないわけではありません。世代を重ねる中で、何度も変異する可能性があり、変異が入るたびに対立遺伝子の数が増えることになります。
さてと、遺伝にまつわる話を2回にわたって述べてきましたが、遺伝の話はまだまだ続くよ。
1) http://www.cc.kochi-u.ac.jp/~tatataa/genetics/Q2012/121226.html